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阪神淡路大震災の現場にて

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阪神淡路大震災の現場にて

お客様の家は大丈夫か⁉︎

ちゃぶ台の上の食器

 

阪神淡路大震災があったその年、たまたま私が受注した、着工中の建物が神戸にあった。

震災が起こった時はまだ建て方中(骨組みの状態)だったが、被害が大きかった場所から離れていたこともあり、特に被害はなかったようだ。

お客様自身も建築現場近くのマンション住んでおり、あの大震災を直で体験されている。

曰く、並んでいる3部屋の中央の部屋にちゃぶ台が置いてあり、その上の食器が地震で左右の部屋まで飛んでったと。

全く理解できない。

お客様も大変驚かれたようで、興奮気味にお話しされていたのを覚えている。

見えるのは瓦礫ばかり

建物が完成し、引渡しの段になって、せっかくなので引渡しを兼ねて震災のあった町を見てみようと、千葉からはるばる神戸にやって来た。震災から3ヶ月くらいたった頃だったと思う。

長田区のあたりだったか、行ってみるとほとんど人はおらず、あたりは瓦礫の山ばかり。とてもここが数ヶ月前まで何万人という人が住んでいたとは思えないような景色が広がっていた。

人の営みが感じられる下町のような風情は、たとえ古臭い建物が建ち並んでいたとしても、歩いていて飽きないが、瓦礫の山は詫びしさしか感じない。

耐震性の重要性

幸い、当時私が在籍していた会社の建物には全壊・半壊はなく、改めて耐震性の重要性を感じた次第である。

瓦礫と化した町に、ポツンと1棟だけ自社の建物が建っている写真が新聞の紙面を飾った事があったが、当時は誇らしい気持ちになったものである。折衝中のお客様にもアピールしたいところだったが、社内的には倒壊で亡くなった方の心情に配慮し、そういった活動は自粛を求められた。

当時私が在籍していた会社は、どこよりも耐震性を重視していた。アピールポイントも耐震性をまず第一に、そしてその耐震性を維持しながら自由設計ができる。実はそれが出来そうでなかなか出来ないのだ。

バブル崩壊後、世の中がデフレスパイラルに落ち込む中、台頭してきたのがローコストの波。100円ショップやファストファッションなどと共に、住宅にもローコストの波が来た。個人的に非常に憂慮しているものの一つである。

コストと引き換えにするものが大きすぎる…。

外してはいけないものもあるのだ。

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